Management information-歴史と現状把握
AVEX
歴史と現状把握
創業から現在に至るまでの歩み
エイベックス株式会社は1949年に創業者 加藤一明(現会長 父)により、加藤鉄工所として産声をあげました。 第二次世界大戦終了わずか4年度とまだまだ日本が混沌とした経済環境の中で大きな夢を抱いて経営がスタートしました。
そして70年を迎えた今、この年月を振返り紐解くことで現在まで結びつく変化のポイントが見えてきました。
人材育成
『会社=人生』
従業員第一号は一昨年急逝された仕入先の「岩元製作所」の社長でした。
住込みでの生活が1人2人と増え、創業5年目頃には既に10人近くの従業員を雇用し始めています。 厳しい経営環境下でありましたが、親のような気持ちで雇用した従業員の能力を引き出し、充実した時間を過ごせる為に、自ら学び、そして指導育成する機会づくりを惜しまなかったと聞いています。 休日や就業後を活用しての研修会・発表会の開催などを積極的に当時の町工場には珍しいくらいOJT以外での人材育成にも力を注いでいたそうです。 この創業者の厳しさの中に愛のある教育は、現在の社風である家族的な雰囲気での温かい人材育成(仕事を通じて豊かな人生を構築)はこのときから脈々と継続されています。 今年度は、その創業からのDNAを受継いだ、加藤守さん達は勤続60年を迎えました。(『多能工化』の原点)

創業期 工場

タッピングマシン作業風景
伊勢湾台風
『機械レストア』
1959年9月15日に中部地方に直撃した伊勢湾台風は、当時の「加藤精機」にも甚大な被害を与えました。山崎川の堤防も決壊し、暴風・暴雨により一気に会社も一階部分が水没して機械も泥水にまみれました。翌日には天気があがり水も引けたものの機械はみるも無残な状態であったと写真や証言から確認が出来ました。 普通であれば経営継続も絶望的な状況でありましたが、気付くと誰とも言わず自然に今までしたことがなかった、機械を分解して修理を始めていたそうです。
1ヶ月かけてモーターを分解清掃修理したり、七輪で火を起こして乾燥させたり…
その活動の甲斐あって、この年は売上を半減させながらも一人も解雇することなく乗越えたのです。 ここで得た設備分解や修理にかかる技能は後に改善活動や保全活動につながり現在の「設備と製品に愛着と誇りをもつ」の考え方に継承されています。
また、当時の経験された元従業員からもこの経験が現在のAVEXの差別化ポイントである中古設備のレストアの起源であることが分かりました。(『自前化』の原点)

伊勢湾台風の被害(昭和35年)

伊勢湾台風復興(昭和36年)
部品廃止
『さるの世界観』
多くの存続の危機につながりかねない経験も先輩方は乗越えてきてくれました。 一つは前出の「伊勢湾台風危機」でありました。 主要部品であった「ブレーキ部品の樹脂化」や「8ミリ映写機の消滅」による売上の大幅な減少…企業が消滅してもおかしくないほどの衝撃でありましたが、その危機の中を先輩達は苦しみながらも確実に乗越え、変化を恐れず立て直してきました。
多くの苦しみの経験が、「自立型経営」に変革でき、企業を存続永らえてきたのかもしれません。 危機に直面したときに現状にしがみつき、苦しむのでなく立ち向かったことが変革につながったと考えられます。
現状に甘んじることは簡単ですが…、会長の話す「企業は必ず消滅する」「企業で働く従業員は必ずいなくなる」ということを認識して企業を存続させるためには変化する勇気が必要となります。 そして「さるの世界観」でAVEXの現状を自己認識して何をすべきであるのか?
この考え方は、従来の「商品軸」の戦略から現在の「技術軸」での拡張戦略に活かされているのです。(『技術ロードマップ』の原点)

敷島のセンターレス

野村ピーターマン
長期ビジョン
『多度工場稼動』
2000年にはAVEXに現社長がアイシン精機、アイシン・エィ・ダブリュ精密での3年間の研修『多度工場稼動』 を終え、AVEXへ入社しました。
当時のAVEXは従業員数が60名程度でまだ名古屋での工場のみでの稼動でありましたが、徐々に体制や組織も整備されつつあり受注も確実に増加しはじめた頃です。 一方で、創業来50年に渡って生産を行ってきた名古屋の生産能力にも限界が近づきつつありました。 ただ、単に生産スペースを確保するといった単純な活動をするのではなく、会長は、今後のAVEXを支える若手メンバーに参画させAVEXで初めての「中長期経営計画書」を作成するチャンスの場をつくってくれました。
「今後は市場がどのように変化するか?」「お客様の調達ニーズはどう変化するか?」「AVEXの強み弱みは何か?」「成功するための戦略は?」を半年にわたって検討を進めました。 そうして4年後にはその経営計画に基づいた、「多度工場」の稼動が始まります。 3,000坪の工場敷地は名古屋の生産スペースが500坪と考えると驚きの投資でありましたが、経営計画に基づく「自立型企業」として成長して、約10年後の昨年には三重県様のご支援も受けて2階の生産スペースと3階の福利厚生施設が増築されました。(『市場創造ロードマップ』の原点)

第2期多度工場

新多度工場

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