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2020.8月 アフターコロナ変革 7割操業でも、利益が出る強靭な企業へ!

コロナ禍のため『連休中の行動制限』として、①行政から指示のあるコロナ感染拡大リスクの高い地域や施設への訪問は控える ②電車やバスなど密になる交通手段の使用は可能な限り控える ③休暇中もマスク着用や消毒の実施など感染リスクを予防する を、お願いしましたので、残念ながら思うような行動が出来なかった連休になったかも知れません。

仕事が始まりましたので念のため、会社で気をつける行動として『新型コロナ特別警戒「夏季連休前後」対応通知書』の
3.連休後のスタッフ系の3蜜対策(密閉施設で業務上会話が発生する場所)
・オフィス在籍率50%以下の維持を基本とする
  対象:間接部門(密な部屋においての事務業務従事者)
  方法:時差出勤の採用、他拠点での勤務、会議室や食堂の活用
      換気扇以外の強制換気の実施(空気入れ替え)
      他拠点移動や出張を最小限に留める
   ※連休後に対応ができるように調整をよろしくお願いします
4.各職場での対応
・喫煙場所での会話、昼食時の会話は控えてください(マスク外すときの会話)
・勤務中は必ずマスク着用での業務対応してください(現場での熱中症の予防から、2m以上人と離れた状態で定期的にマスクを外し緩和することは可)
【熱中症の予防からこまめな水分補給をしてください】
・定期的な手洗いや消毒を実施してください
・社内での感染拡大を抑制するため、
   毎朝全員の検温(出勤前検温も可)をお願いします
 ※発熱が検出された場合には、他の従業員への予防のため勤務することはできません

以上3・4の項目を守り、更に職場外においても、「感染しない・させない・広げない」という気持ちで、お互いに気をつけて行動をしていきましょう。

会社の業績状況も、売上が5月には前年同月比70%減まで落ちましたが、7月は20%減まで回復しました。これからはQCD(品質・コスト・納期)において、他社との差別化を図り、全社員一丸となって新たな部品の受注につなげて売り上げを確保すると共に、改善を行い70%操業でもしっかりと利益が出る経営体質に強化していきましょう。

  ~アフターコロナ変革 7割操業でも利益が出る強靭な企業へ~
■  エイベックス働き方改革6カ条 【やるときはやる!遊ぶときは遊ぶ!】
①残業ゼロ体制の確立〔時差出勤体制・会議は定時内・残業許可申請の徹底〕
②外観検査の自働化 〔全数保証体制+リング+寸法+画像の自働化〕
③パート化7〔供給・排出・測定・補正・スタッフの日常業務〕
  :正社員3〔改善・自前化〕
④加工高65%以上 〔試作・小中ロット100%自前化〕
⑤正社員は、1人1000万円以上の改善・自前化
⑥完全ペーパーレス・web会議の活用 〔打ち込みゼロ・移動時間ゼロ〕

◎書籍の紹介
この度、宮崎県中小企業家同友会の「あかいし文庫」友の会が企画・編集をした「逆風をもって「徳」とする」書籍が鉱脈社から出版されました。この本には、オイルショック・赤石義弘さん、バブル崩壊・藤河次博さん、そしてリーマンショック・加藤明彦の三人が、同友会講演の報告者として、それぞれが会社の危機をどう乗り切ったのかの話をまとめ直したものを書籍にしたものです。私の所では主に、リーマンショックの時どう思い行動をしたのかが中心ですが、実は1992年エイベックスに社名を変更した翌年に同友会へ入会をしました。その後の同友会での学びを得たことを会社に展開をし、その際の内容も含まれています。

社名変更から約10年後の2000年になった頃、売上も増えて来て本社が手狭になってきました。丁度その頃あるお客様が海外に進出する話が持ち上がり、一緒に出ないかと言うことで、度々ベトナムに出張をしていました。しかし行けば行くほど、我が社にとって海外進出が将来の発展に寄与するのだろうかと、進出に躊躇していました。もう一度、国内と海外と比較をして検討をしました。

結論として、国内での新規のお客様を増やすことにより、売上を確保することを決断しました。この頃社員数も増えて来て、組織も大きくなり直接全社員と日常的に会話をすることが難しくなって来ていました。そこで、少なくても経営者が何を考え、どんな方向に行こうとしているのかを、直接全社員と意思疎通を図るためには、何をすればよいかを考えました。その結果が、この「成長の泉」でした。このタイトルをつけた思いは、社員の皆さんが【成長】でき、少しでも豊かな人生が送れるヒントになる内容【泉】になればということで、決めました。

この「成長の泉」も、今回でNo249なので、2001年秋から20年あまり書き綴ってきました。振り返ってみると書き始めた当時、二次サプライヤーとして多くの同業の仕入先が海外に進出をしていましたが、この際ベトナムへの進出をやめて、2010ビジョンに掲げていた新たな一次サプライヤーの開拓のために手狭であった本社とは別に国内に工場を建てて、製造場所の確保をすることを決断しました。本社の敷地は300坪でしたが、思い切って10倍の3000坪の土地を確保しました。これが現在の多度工場です。

土地だけでも多くの借入になりましたので、初めは300坪の工場を建てる予定でした。しかしありがたいことに既存のお客様から順調に受注が出来て、建設予定を600坪にすぐ変更しました。これが2004年から操業を始めた多度工場一期工事でした。その後、2008年秋にリーマンショックが発生し、2009年2月には売上前年月比70%減という経営危機にも遭遇しましたが、全社員一丸となってこの危機を乗り越えました。現在「コロナ禍」ではありますが、今回も全社一丸でしっかりと乗り切って下さい。

書籍が発行されましたので、この機会をもって、来月で締めさせて頂きます。

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