AVEX
NEWS
2016.10月 常識と非常識・まじめと非まじめ

会社には決めごとがたくさんあります。品質を確保するために「標準」があります。この標準を守らないと不良が発生して、お客様に多大なご迷惑をかけます。もう一方で「挨拶をしよう」「スリッパは次の人が履きやすいように後ろ向きに出よう」「靴など履物を揃えよう」「マットがずれないように足を引きずって歩かない」「次の人のために予備のトイレットペーパーを使わないようにしよう」「なくなったら補充をしよう」等々、会社だけではなく、集団的に社会生活を送るために、周りに気配りの行動をすることがあります。これは標準を守ることとは、いささか違うように思いませんか?社会生活を送るための『常識』ではありませんか。常識は、相手や周囲の人々のためになるもの。逆に常識が出来ない言葉に『非常識』があります。これには、知っていても行動が伴わない人と、知らないから出来ない人がいます。いずれにしても良くないことです。

みんなが常識マンになるためには、常識的な行動をするようまず知らない人には、親切に教えてあげよう。それから行動が出来ない人には無視をせず、なぜしないのか聞いてあげよう。ここから、「報連相」ができる風土づくりが始まると考えます。

次に、『まじめ』に対して、あまり聞いたことがないかも知れませんが、『非まじめ』という言葉があります。これは、不まじめのことではなく、まじめも非まじめも共に活かす姿勢が大切です。例えば、アクセルとブレーキは対立関係にありますが、車にとっては両方とも大変重要な機能です。

ここにナイフがあるとします。ナイフは良いものでしょうか、悪いものなのでしょうか。お医者さんがメスとして病気を治すことに使えば「善」です。人を殺すことに使えば「悪」です。ということは、ナイフは使いようによって、善にもなり悪にもなるのです。実はナイフは「無記」なのです。ひょっとすると皆さん、お互いに先入観を持ってお互いを評価していませんか。ちょっと立ち止まって自分自身を見つめて下さい。他人の事は相手が見えるので相手を評価しがちです。自分はこんな人間だと自己評価をしますが、実は自分を見ることはできません。だからこそ相手から自分はどんな人なのかを教えてもらわなければなりません。そのためにも、自分の都合のよい想像力を働かせず、一度『無記』の状態になり、客観的にお互いに見つめ合う事が大事です。

この『無記の世界』の考え方は、40年ほど前に勉強をしたことを思い出したわけですが、当時ロボット工学の権威者でした「森 政弘先生」から学びました。参考までに先生は、川の上流に向かって動力のないボートを動かすにはどうすべきか、その答えからヒントを得て、そこからロボットの活用を考える事が大切だとか、ロボットを研究するには宗教を勉強すべきと「自在研究所」を作られて、指導をされていました。

一覧に戻る

ページの先頭へ