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2013.3月 福島原発20㎞圏内・南相馬市に行って来ました

2011年3月11日に発生した東日本大震災において、地震・津波・原発の三重苦を経験して、いまなお復旧復興の最中である福島同友会相双地区、南相馬市に行って来ました。

①建設業を営んでいる福島同友会のメンバーが、現在海岸線の工事を請け負っているので、工事関係者しか入れない工事現場の目の前まで連れて行ってもらえました。
現場で働く皆さんは、ただ単に与えられた仕事をこなすだけではなく、一日でも早く元の生活に戻れるよう一生懸命インフラ整備をされている人々の姿でした。だだ不思議に思ったのは、意外に少ない人の働く姿でした。
聞きますと、人手不足で必要な人員の半分程度しかいないとか、セメントを作るために砂がいるが、放射能におかされているので地元の砂が使えず、他から確保したいがなかなか手に入らないので、工事が予定通り進んでいない実態でした。

②バスに乗って移動をしましたが、このバス会社の社長も同乗されて、話を聞きました。
「避難をしなさい、しかし避難するためのバスは30㎞圏内には入れないので、その外で待っているからそこまで来てくれ」という指示がでたそうです。そこでこの社長は、病人が、老人が、10~20㎞も歩けるわけがないと思い、自ら放射能の危険を侵しながらも、バスをピストン輸送して30㎞圏外まで運んだそうです。
それは、それは、とても喜ばれたそうです。

③同友会メンバーが経営しているスーパーの社長も同乗されました。
このスーパーの見学をさせて頂きましたが、ここでは、「ヨウ素・セシウム」をろ過できる機械を設置してお客様サービスをしていました。いっぱいのお客様でした。
震災当時は、各お店と連絡が取れず、社長は大変心配していましたが、各店舗では、それぞれの社員の皆さんが自主判断でお店を開けて、お客様の対応をしていたそうです。これも、日頃から「経営理念」が社員一人ひとりにいきわたっていて、この緊急時においてお客様を大切にするとは、何をすることか?の思考ができて、迷わずに敏速に行動できたことだと言われました。

近くの大手スーパーの社員は放射能が怖くて逃げてしまい、あげくのはてに本社の指示を仰いだため的確な対応ができずいまだに回復が相当遅れ、お客様の信頼もなくしてしまいお店はヒマだそうです。
これでは、結果撤退するしかありません。

まだまだ学んだことや気づかされたこと、理不尽なことなど、今回はたくさんの学びを得てまいりました。

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